ポール・ライドン・インタビュー
ポールとは2004年1月に一度会っている。その時もインタビューしているのだが、インタビューというよりも何となく雑談になってしまい、さほどメモも多くとっていなかったため、アリヨスから彼のアルバムを発売する記念に、メール・インタビューを試みた。彼の暖かな人柄や音楽に対する真摯な姿勢を、少しでも感じ取ってもらえたならと思う。
Q:私が最初にあなたのアルバムを手にしたのは昨年の10月で、12 Tonarのオーナーから「すごくいいから聴いてごらん」と手渡されたことからでした。最初に聴いた時は、素っ気ないほどシンプルで、たぶん東京からアイスランドに到着したばかりだったこともあり、体内のテンポに合わなかったのでしょう。数日のうちにすごくしっくりくるようになって、結局昨年のマイブーム盤になりました。そういうコメントが舞い込むことは?
A:まずはお褒めの言葉をありがとう。すごくうれしいよ!想像以上にいろんな人からかなりいいリアクションを受けているんで、とてもありがたいし励みになる。12Tonarはショップぐるみで応援してくれているし、ライブもやったし、とにかくうれしい。
A:『Vitlaust hús』の制作期間やレコーディング方法等を教えてくれる?
Q:制作期間は8ヶ月。最初の数ヶ月は曲書きと、演奏の練習だ。僕はギターで演奏することはあっても、ピアノではやったことがなかったんで、今回はぜひピアノでパフォーマンスできるものにしたかった。まずライブで弾いてみて、これはイケルと確信を得てからレコーディングに入った。レコーディングは自宅で行い、プレイバックしては気になる箇所を少しずつ訂正していった。
今回は全部ラップトップで処理したんだ。すごく面白かった。今までは4トラックでやってたけど、それよりずっと楽しかった。
(そうそう、彼と私はマック・ユーザーで、一般社会でいかにマックが虐げられているかとか、ミュージシャンでマックを持ってない人物は少ないとか、会った時にはそんな話もした覚えがある。)
Q:アルバムにクレジットされている人たちはどんな役割だったの?
A:みんな友人で、いろいろな形で協力してくれた。彼らの友情には本当に感謝している。全員とても大切な人々だけど、特に3人の名前を挙げたい。ソールフィニュール・スクラソンは僕のアイスランド語を添削して、文法間違いを丁寧に直してくれた。このアルバムは彼の手助けなしには実現しえなかった。グラフィック関係で全面的に協力してくれたのはエリで、いつもいろいろなことで笑わせてくれる楽しい友人だ。ヤナ・キャルヴァトヴァは現在プラハ在住で、彼女は僕のアルバム用に数多くの花を写真に収めてくれた。その一枚がアルバム・カヴァーになっているあの花なんだ。彼女もすごく暖かくて、楽しい人だ。
Q:音楽は副業というか、平日の昼間は別に仕事を持っていますよね。どんな時に何にインスパイアされて音楽を作るのでしょう。
A:平日の夕方や週末、それから休日だ。時間がない時には、印象的なフレーズとかメロディ、言葉なんかをメモっておいて、時間のある時にそれをまとめあげる手法をとっている。音楽を奏でると気分がいいんだ。今の僕はそういう心境にある。癒しっていうのかな。理屈ではなく音楽を演奏することが必要って感じなのさ。
Q:音楽的バックグランドを。
A:子供の頃からピアノを習い始めた。70年代やディスコ、はトップ40をよく聞いていた。ジョニ・ミッチェルなんかもね。最初に買ったレコードはドン・マクリーンの『アメリカン・パイ』だった。ある時、自分で勝手気ままに何かを作ることができると気づいて、それがターニング・ポイントになった。家を出て独立した時に電気ギターを買ったことと、ボストンで80年代初頭にミッション・オヴ・バーマを数回ほど見たことにすごくインスパイアーされた。
Q:最近聴いている音楽は?
A:歌ものをよく聴くし、フランメンコなら新旧を問わずよく聴く。この夏はミシシッピ・フレッド・マクダウェルのアルバムをずっとかけていた。
Q:好きなアーティストや作曲家は?
A:核の部分に情感が感じられるポップ・ミュージックが好きなんだ。去年初めて聴いてすごく気に入ったのが90年代半ばのグループでScrawlの『Velvet
Hammer』と、ボストン出身のグループ、コンソナントのデビュー・アルバム。フランソワーズ・ブルーやドミニクAのようなフレンチ・ポップスも好きだ。ゴー・ビトゥイーンズも好きだし、世界の伝統音楽にも惹かれる。一枚だけ挙げるなら、Ocoraレーベルから出ているウズベキスタンのミュージシャンで、Turgun
Alimatovが長年の愛聴盤になっている。誰が好きかっていう質問は難しいな。今答えたとしても、明日になると気が変わるかもしれないし(笑)。
Q:なぜアイスランドへ?
A:マジなところ、好奇心と冒険心だったと思う。1986年の夏、娘の母親と共に2ヶ月間ここに滞在した(注:戸籍がどうのという考え方の薄いアイスランドでは、こういった表現をすることが多い。つまりは当時の妻かガールフレンドということ)。そこでレイキャヴィークを十分に知り、2年後の秋にここに戻って以来、ずっと僕は住み着いている。
Q:レイキャヴィークの好きなところは?
A:都会的な文化と自然の存在のバランスがとてもいい。質の高い書籍を見つけることもできるし、アパートの窓からは海を眺めることもできる。もちろん何でもかんでも全部揃うって環境じゃないけど、僕はここでの日常生活が好きだ。ここで手に入ることと僕の人格がすごく合ってる。
Q:歌詞がニュートラルですよね。甘ったるいラヴ・ソングでもなければ、過激な政治的歌詞でもない。私は対訳者としてこれまで英米のライターが書いた曲を文字通り何千曲と訳してきたけど、ポールのような歌詞を書く人はほとんど存在しないと言っていいほど。アイスランド語やアイスランド文化が歌詞に及ぼす影響とか、そういったところを教えてくれる?個人的には特に、「偶然でさえ違った家の屋根をひっぺがしたことはなかった」という意が解せないんだけど。
A:それがアイスランド的な考え方であるとまでは言わないけど、僕が書く歌詞はこの地で見聞きしたことから成っているから、ある程度は、まぁ部外者から見たアイスランドっていう感じかもね。自分が納得して心地よく歌える歌詞でありたいし、僕は移民であるせいか、なるべく物事をシンプルにしておきたいというのもある。出来る限り複雑な言葉じゃなくてシンプルな言葉で語りたいということ。
僕はカメラを持ってないけど、写真を見るのはすごく好きだ。素晴らし写真を撮影する人に対して、とても敬意を持つ。写真が歌詞のインスピレーションになることが少なくないし、別のことを示唆する可能性を秘める、具体的なことが好きなんだ。例えば先日ナン・ゴールディンの写真を見た。涙をためている友人を写した写真だった。その写真に表面的な涙以上の深いものを感じてすごく感銘を受けた。そういう状況の写真を撮影することを許した深い信頼関係ということだ。
アイスランド的な物事の考え方ということでは、「不可能なことはない」というこの地の人々の姿勢をレスペクトしている。僕の中に少しでもそういった考え方が根付いているといいと思ってる。
Q:それから、「うさぎとヘビが来る場所」というのも、東京では浮かびにくい歌詞だなぁと感じています。もちろんイマジネーションの問題でしょうけれど、アイスランドという自然環境が歌詞に影響することは?
A:あるよ。例えば、天候の話をしていれば無難ということがある。時折思うんだけど、人間関係というのは天候に似ている。ここでは晴天なのに、あちらでは嵐。でも少し経つとそれが反対になる。最近グリーンランドについての本を読んでいて、グリーンランド語で天気・天候という言葉はsilaと言って、意識という意味でもあるそうなんだ。それって似たようなことじゃないかと思う。
ヘビがどうのというくだりは、アイスランドにはヘビはいないから、アイスランドではない別の場所を指しているんだ。そういうところが生粋の地元アーティストと僕の違いかな。僕はアイスランド生まれじゃないからねーーー最近のアイスランドは移民が増えてきたし。具体的にどうとは説明しないけど、その曲は二重の意味がある。
Q:最近ライブをやったことは?
A:この夏には2回ほどギターで演奏をした。秋頃にピアノでもやる予定だ。ピアノの生演奏は贅沢だからね。レイキャヴィークでライブをやるのは一年に2回程度だ。
Q:音楽の話からは逸れるけど、水泳クラブに入っている理由は?
A:子供の頃、夏になるとメイン州の海で泳いでいた。レイキャヴィークの海の水温も夏のメイン州の海とさほど変わらないのに、ここでは誰も泳いでいなかった。でも今年になってやっと、毎週海へ泳ぎに行く人と知り合ったんだ。これが本当に傑作で、特に理由なんかないけど、とにかく日曜日の朝目を覚ますのにはいいみたいだよ(笑)。
Q:まさに(笑)。なにせ真冬でも海で泳いでますものねぇ(ウェッブ上で写真を見せてもらった)。でもとても楽しそう!冬の海は好き?
A:彼らと最初に行ったのが5月で、水温は8度だった。冷たいけど、凍えるってほどの温度でもない。会員の中には真冬でも海に飛び込む強者が何人かいる。もうどひゃぁーって感じだよ。僕の場合は秋になって様子を見ないと、強者の仲間に入れるかどうかはわからない。
(10月にレイキャヴィークへ行く際は、ポールの水泳についていく予定にしている。足をポチャンと海につけること程度に終わりそうだが、「水泳の後の温泉がたまらなく気持ちいい」そうなので、温泉好きの日本人としてはそちらの方に興味が行く)
Q:日本に来たことは?日本に対して持っているイメージは?
A:行ったことはないけれど、ぜひ一度行ってみたい国だ。いろいろな話を聞くし、写真も数多く見てきた。人々の肩にかかっているプレッシャーが大きそうだね。それでも上手に日常をこなしているっていう印象だ。
Q:最後に日本の音楽ファンへのメッセージをどうぞ。
A:僕の音楽の中に何かを見いだしてくれることを願っている。僕の音楽が人々の心のどこかに響いたなら、これ以上うれしいことはない。
2004年9月